MFB の創業者、マンフレッド・フリッケ氏が逝去

2021年6月17日、ドイツの首都ベルリンを拠点とするシンセサイザーとドラムマシンのメーカー MFB の創業者であり、エンジニアのマンフレッド・フリッケ(Manfred Fricke)氏が亡くなりました。

MFB は1976年にベルリンで創業しました。数多くの製品を開発していますが、初期はビデオゲーム関連の製品の開発から始まりました。1979年に伝説的なドラムマシン MFB-501 を発売し、当時ドイツでは高価だった日本のドラムマシンに代わる廉価な MFB-501 は大ヒットを記録。1980年代中盤からは Apple II、Commodore 64、IBM 互換 PC 用ビデオ関連の製品開発にシフトして行きました。そして1990年代後半から再び電子楽器の開発に注力、数多くのヒット製品を生み出すことになります。

日本国内では2000年代初頭から弊社が正規輸入代理店となり数多くの製品を取り扱っています。Synth II、Synth Lite II、Nanozwerg などのテーブルトップ・シンセサイザー、KULT、503、522 などの手のひらサイズのリズムマシンが大ヒットを記録しました。プラスチック素材のおもちゃのような外観からは想像もつかない素晴らしいサウンドは国内のシンセサイザーファンも魅了し、現在も愛用者が多い製品を開発してきました。

Synth II"
Synth Lite II"
Nanozwerg"
KULT"
503"
522"

氏は4年ほど前から癌との闘病生活を送りながらも会社の発展発展のための活動を行い続け、最新の製品であるシンセサイザー Synth-Pro の開発に情熱を傾けていました。

今後 MFB はマンフレッド・フリッケ氏の息子であり現社長であるジャン・マルセル・フリッケ氏が、周辺のパートナー企業と協力して存続します。

以下、弊社代表 鈴木のコメントです。

Manfred との付き合いは早いものでもう15年以上になり最後に会ったのは2年前でしたが、既にガンのため声を上手く出せずに会話に苦労するような状態でした。
彼はあまり社交的な人ではなく、どちらかと言えば気むずかしいタイプでしたが、ドイツで会う時は遠い日本から来た私の事を気遣ってくれる優しいところもありました。
一度ベルリンにある彼の家に押しかけて新製品についていろいろ聞きに行ったことがありましたが、彼の息子(Jean Marcel君)と一緒だったせいか子供の様な目で楽しそうに説明してくれたことが印象に残っています。

ドイツから届いた製品には初期不良で音が出ないとか、ケースの加工が下手でキズがついていたりなど頭を抱えることがありました。
でもコンセプトや音は「シンセやドラムマシンのことが分かってるなあ」というもので、マニア受けする新製品にはいつも驚かされました。
日本の某大手のメーカーもその製品を買って分解し研究していたほどです。

記念式典(葬儀ではなく)は家族と彼を慕う多くの友人が集まりチャペルで執り行われたそうで、私の仕事仲間が参列しその様子を教えてくれました。
遺骨は海に散骨、最後かかった音楽は Deep Purple の Child in Time !
最後までロックしてくれるなあ・・・
Ruhe in Frieden, Manfred !